神社には、しめ縄や狛犬がありますが、あれは何を表したものか知っていますか?
あれはエンリルとエンキをあらわしていると言われています。
実は、昨日からエンリルとエンキが降りて来ていて、いろんな事をお話されていきました。
エンリルとエンキ
私達は何をしにここに来たのか?
その本当の意味は?
地球での実験
愛と憎しみ、醜い美しいと言う違いから何が生まれるか?
この格差で本質にどれだけ戻れるか一人一人決めるそして、博愛無償、無限の愛をどれだけ体現できるか?
全てのカギは我々が握っている。
そう言っていました。
そして、昨日エンリルとエンキは自分達の呪詛から解放されたのですが、その時のメッセージでは泣いて苦悩を訴えていました。
「私達のパワーを使い自分勝手に自分達がいいようにしか使わなかった。
私達は使われるしかなかった。私達の仲間は目をつぶされ動けなくされてそこにいるしかなくなり、そしてそのパワーだけを使われた。
また生殖能力においてもコントロールされたので、子孫を繁栄する事も許されずただ使われるだけだった。
それでも神としてあがめられ、ときには、見苦しさからさげすまれ劣等感を感じた。
それが今の地球そのもの状態となっている。
博愛、無償、無限の愛をどれだけ注いでもらっても満たされなく、博愛、無償、無限の愛を注いでも見返りはなく、ただ格差ばかりがついてくる状態を感じ取る事ができますか?
私達は呪縛から外れ今自由になりました。
私達は自分が選択してやりたい事だけをやって行きます。
もう歪んだ意識に動かされる事なく存在していく。
昔のように、神様としてあがめ、奉り、ひれ伏してくれたとしても、そのような儀式に何の意味もメリットもありません。私達は自分の事を良く理解し、自分に気づきを得て再構築し、永い間に経験した全ての事を踏まえて今本質にもどりました。
本質とは、全てのものが一つであると言う事を理解しながら今を生きると言う事になる。
神社では鏡が置いてあるが、もっと自分を良く見なさいと言う事だ。
自分の内面の姿形は外側の容姿とはなった無関係だ。
内面は、一人一人の溢れだすエネルギー、愛の模様として光の形で映し出されている。
それが、とても美しい。
私達エンリルとエンキもキメラだから姿形は見苦しいが、宇宙にはもっと深い愛であり光の存在であるのにもかかわらず、見た目が私達よりもっとおぞましい姿をしている物もいる。
クジラの魂は、まるでなまはげのような形をしている。
それでも愛一元で人間のエサになっていても、まだ地球や人間の為に身を呈して、地震がおきそうな磁場の調整などもしてくれている。
その事に感謝をした事が無い地球人がほとんどです。
地球でクジラの本体の姿を見たら、おそらく恐れられるであろう。そういう宇宙存在が、これからもっと地球に降りて来るんだよ。