愛そのもので生きていると言う人が報われる時代になって行くようです。
愛とは、存在する意識そのものです。
宇宙ととけあったら、そこは私しかいな状態、ワンネス、実在する私、過去も未来もない、今ここに全ての存在と境界線もなくなります。
そうは言っても人間には感情があるので、自分をおしころしてまで愛を貫くのは困難です。
嫌だと言う感覚カガミとしてガをとり自分がカミになる努力をします。
人間は自由です。その根底にはいつも愛があります。
自由の根底にある愛を閉じ込めて行動していると、その自由は不自由になりエゴになります。
不自由さは動きを重くさせてしまうので、病気にもなります。
愛から出た自由はトーラスが回りだし、自分をより方向へ導いてくれます。
観自在、無碍自在、自由自在、自然と一体化、愛一元になって、自分が自在神となった時、常に自分と繋がり、常に自分がやりたい事をやっ、て常に喜びあふれた人生になっていきます。
このブログを書く途中○○の宗教の方がいらっしゃって、お話してい気ました。古い聖書の教えとイエスの言葉について30分ほど語っていかれました。
この点で、見ず知らずの私の私の家に突然訪れ、迷惑を考えずに一方的な自分にも気づいていない事でしょう。
この場合、思いやりも配慮もない私が、目の前に現れたと受け取って腰を据えてお話をきかせていただきました。
宗教的概念を通さず、本当の私になって感じて欲しいです。
聖書が素晴らしい教えだと称賛されていました。
そうだなぁ~と思うところもあります。
まですが、マグダラのマリアの福音書がまだ出てないのもおかしいと感じています。
今までの神様でも愛が足りない状態でした。
人間と共同作業で今ここを急ピッチで愛の意識へ導く為には、人間から神様への愛も必要でした。
○○宗教は、戦わない宗教だと言っていましたが、信じない、教えの通りやらない人はそのグループからはずされたりするそうです。それこそ戦いだと言う事も感じなくさせる強いエネルギーだったのでしょう。
年賀状もだめ、神社に行くのもだめ、お寺もだめ、だめだめずくしの教えは、神々はました。そのような古い考えはもう捨てています。和合している神様の声を聞ける方がリーダーになる必要があります。
宇宙の愛は、どんなに悪人でも成長するまで、見届け、見守り、育ててくれます。
ほんとうの根源からの愛は、聖杯のように受け入れ、聖なる剣のように、愛を貫きます。
私はこのような考えに至るまで、いろんな神々に
「ふみ代を育てたのは私だ~。」
と言われ続けました。
そのたびに、
「肉体を持って苦労しているのは私なのに、言いたい放題言って~。」
とてもくやしかったです。
神様のいいなりになって働いてだまされて、今も約束しているけど、いつになるやら
そんな状態でも愛だけやり続けています。
だから神様は私には何も言えません。
そうは言っても私一人では何も出来ません。
全ての存在が和合して出来る限りの愛を貫き、受け止める事を共同作業でやっています。
そして昔私が神様の言いなりになったのも、私のやりたい事、神様のやりたい事が一致していたから暗黙の了解で言う事を聞いていました。
今は神様も友達となり相談して、愛を体現する作業をしています。
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