人は同じ場所同じ空間、そして一緒に会話をしていても、自分の認知を土台に会話をするので、相手も同じように感じているようで、全く違うように感じている。そこに十人いれば十人の記憶がある。
また記憶も違う。
それほど、脳は騙されやすいとも言える。
昔話を人として見ると全く違うと言う経験はありませんか?
認知のバイアスとは、自分が今見ている現実を自分が、認知している、そう思っている、そう感じている、そうなんだと思う事を自分の見方を通してみる事。
簡単にいうと、自分が付けた色のついたメガネをかけてそこから、自分の外側の世界を見ている状態のある事。
これを全ての人が、それぞれにユーモアのある個性的なバイアスをとおしてみているので、そりが合わなくなる。
話のすり合わせが出来ないと、見ている世界のちがいができてしまう。
固定概念のちがい、既成概念のちがい、習慣、癖、思考、感覚、思い込み、ルール、価値観、正義、正解、文化、らしさ、などなど、個々にに自分のメガネを持っている。
又、ややこしい事に、人は感じている事、思った事は、
全て起きた出来事になっている。
起きた事、起きていないにかかわらず、起きた事になっているのである。
脳は、思った事や感じた事と本当に起きた事を区別しにくい。
例として、言った言わないで喧嘩になった事はないだろうか?
言ったつもりは、脳は言った事になっているので、相手は聞いてないよといっても、いや言った。いや聞いてない。の押し問答が始まる。
もう一つ、私の実話を例にとってあげてみよう。
妹と昔話をすると妹の図々しさに、私は腹が立つ。
学生の時二人で一緒に暮らした時に、妹は私に、毎日お弁当と朝ご飯を作ってくれたようになっているらしい。妹は、私に作ってあげたので、大変だったと言う。
私は、朝ご飯は前夜に毎日お米を研ぎ、ご飯も毎日作ってあげていた。妹はご飯の支度が全く出来ない人だった。
なのに、妹はそういうのである。
妹にとって姉は世話がかかる人だという認知をしているから、時間が経つと記憶まで書き換えられてしまったのだ。
ここであえていうなら、その時の正確な出来事としては、炊飯器のタイマーを掛け損なって、起きた時間に食べる事が出来なかったと言う事実は確かにあった。
そこで、姉は、何もできない世話がかかる人で、ご飯の毎日食べさせてあげなければいけなくて大変だったと言う認知ができあがった。
それが、後になり、ご飯を作ってあげたという記憶のすり替えが起きてしまったのだ。
脳のシステムが分かったら、おこるのも馬鹿馬鹿しくなった。
そしてずうずうしい妹に腹を立てたところで、嘘だと言った所で、相手の認知と記憶を書き換える事は出来ないし、説得してわからせて、自己満足してそして、妹の怒りをかいサイキックアタックを受ける事になるなんて、あまりにも面倒。
めちゃくちゃな書き換えをする人に言う事があるとしたら、それぞれのアカシックレコードにはしっかり書き込まれているから、死んだら本当の事がわかるから、もういい許すよ~。そしてそこから学びとる事をもう一回やる事になるけど、お願いしま~す、と言う事だけだ。
覚醒とは、この認知のバイアスをとり、本当の自分自身のこころとつながり、自分の本心で生きている事。
ブレた人をみたり、聞いたり、感じたりしたら、自分を内観しチエックして、バイアスをとりましょう。それをする事作業がひとつひとつの覚醒になる。